2021年こそ、毎日日記書くぞ

忙しさに負けず、日々の記録を残します。まずはとにかく書くこと。「こんな文章出して恥ずかしくないかな?」よりも、とにかく書けるようにする。

読書:本を読む人だけが手にするもの

読んだ理由

以前読んだ藤原さんの本が良かったから

この本の良かった点

自分が普段接しない分野をあえて読むことで、自分の幅が広がる(乱読)

純文学を読まないと成長できない

初対面はめちゃくちゃ大事。2回目3回目に取り返すのは無理

人生は一つの大きな山を登るのではなく、複数の山を作っていく

読書は忍耐力の訓練。スマホをオフにして、孤独に耐えて読書をする

ネクストアクション

以下の本を読む

村上龍

坂の上の坂

おもかげ復元師

第五の権力

貧困のない世界を創る

それをお金で買いますか

35歳の教科書

敗戦真相記

海賊とよばれた男

ペコロスの母の玉手箱

手紙屋

ペテン師と天才

死体とご遺体

ハイライト

本を読むという行為は、決して情報を得たいというためにやることではなくて、むしろ自分のなかからどのくらい引き出せるかという営みなのです

むしろ、 自分の不得手な分野、目からウロコが落ちるような内容、あるいはこれまではまったく興味が湧かなかったことに目を向けるべきだ。 意図的に「異質な回路」をつくり出すことが、受容体の形状や質を多様化させる。  簡単にいえば「乱読」 ということになる。

極限状況を体験するということに関しては、メディアファクトリーにいたころ、評論家の西部 邁 先生から面白い話を教えていただいたことがある。  「男が正気になるためには、病気になって死ぬ目に遭うか、独房に入って 沈思黙考 して哲学するか、戦争に行くしかない」  西部先生が言おうとしたのは、人間がひと皮 剥けるためには、それぐらい強いショックが必要だということ。  少しぐらいの仕事のきつさや「地獄の研修」に参加する程度のことでは、人間の価値観は激変しない。半日もしたら元の状態に戻ってしまうだろう。  いっぽう、死というのは生物である人間にとって、究極の極限状況である。 癌 を告知された人の体験談を読んでいても、死を間近に意識することで世の中がまったく違って見えるという。

しかし「人間として成長しない」などと言われると、座り心地が悪い。その社長が非常に面白い人だったこともあって、翌日すぐに銀座の旭屋書店に飛び込んだ。書棚から宮本輝さんの『青が散る』(文藝春秋)と連城三紀彦さんの『恋文』(新潮社)を無造作に手に取り、さっそく読み始めた。

図書館に行って、限度いっぱいに借りられるだけ借りてくる。それを机の上に積んでおいて、片っ端から読んでいく。宮本輝さんと連城三紀彦さんに続いて、その後、重松清さんや藤沢周さん、島田雅彦さん、宮部みゆきさんの作品を渡り歩いた。

このことはベストセラーとなった拙著『坂の上の坂』(ポプラ社)に詳しく書いたが、人生の山は1つではない。たった1つの大きな山を人生の後半に向けて下っていくイメージではなく、いくつもの連山を重ねて、登ったり下ったりしながら最後まで山づくりを繰り返すべきだ。

学校では教えてくれないけれど、日本人は初対面のときに油断し過ぎているのだ。初対面でのマイナスイメージを、2回目、3回目で 払拭 しようと思っても不可能に近い。初対面のときに相手の心をつかまないと、その次はないと思ったほうがいい。

もちろん、それが大部の著作であれば、読み切るには相応の忍耐が必要になる。  たとえば、塩野 七生 さんの『ローマ人の物語』(新潮社)のような壮大なシリーズものは面白いけれども、すべて読もうと思えば相当な覚悟がいる。  しかし、だからこそ忍耐力がつくのだ。私は、読むことに対する忍耐という面では、電子書籍よりも紙の本のほうが、実感が持てると感じている。  かつて、私はフランスに住んだことがある。そのときに感じたのは、フランス人には絶対的に孤独な人生観が深く横たわっていることだった。  「人は生を受け、死を迎えるまで、結局、他人と完全にわかり合うことはできない」  これこそが、 21 世紀型の成熟社会に通底する基本認識だと私は思う。  だから、四六時中ネットにつながるのではなく、ネットから切れて「スタンドアローン」になることが重要になる。孤独に耐える訓練にもなるからだ。  私は、仕事をするときとは別の場所で本を読んでいる。そこにパソコンはない。スマホも携帯も使わないので、本を読むときは完全にスタンドアローンの状態だ。  本は、このようにスタンドアローンになることに適した端末だ。ただそこに黙ってあるだけ。逆の見方をすれば、本は、孤独に耐えながら読むに限るということ。そこから生まれる達成感は、次の本へ向かわせる原動力に

極限状況を体験するということに関しては、メディアファクトリーにいたころ、評論家の西部 邁 先生から面白い話を教えていただいたことがある。  「男が正気になるためには、病気になって死ぬ目に遭うか、独房に入って 沈思黙考 して哲学するか、戦争に行くしかない」  西部先生が言おうとしたのは、人間がひと皮 剥けるためには、それぐらい強いショックが必要だということ。  少しぐらいの仕事のきつさや「地獄の研修」に参加する程度のことでは、人間の価値観は激変しない。半日もしたら元の状態に戻ってしまうだろう。  いっぽう、死というのは生物である人間にとって、究極の極限状況である。 癌 を告知された人の体験談を読んでいても、死を間近に意識することで世の中がまったく違って見えるという。もちろん恐怖はあるが、運よくそこから立ち戻ることができた